熊本とは?熊本の歴史・・・・・パクスファンの部屋
2009年12月14日
パクスファンの部屋も大分福岡宮崎と支部が出来て九州各地へ広がっています 熊本が本部になりますが熊本がどんな所か歴史がどうなっていたのかご存知ない方も多いかと思います 私自身知っている話でも事実は知らない話しが沢山あります 今日たまたま息子から原稿がメールで来ましたのであくまでも熊本の歴史を知りたい方のために厚かましくもupさせて頂きました熊本を知る何か少しでも参考になれば・・・・と思います
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テーマ:歴史にまつわるあれこれ
私は出身が熊本ということもあり、熊本を作った加藤清正と細川家が好きで。
これは私の持論ですが、熊本人にはDNAの中に「加藤清正が好き」というが符号が配列されていると思うんです。ほんとに誰か証明してほしい(笑)。私も誰に教わったわけでもないのに、幼い頃から加藤清正にはなぜか親しみを持っていました。
加藤清正は肥後熊本藩の初代藩主。豊臣秀吉の"七本槍"メンバーの一人であり、日本三大名城の一つである熊本城を築城、氾濫して人々を苦しめた白川の治水を成功させるなどして"建築の神様"としても崇められた安土桃山~江戸時代の武将です。
徳川家は目の上のタンコブだった清正の死後、すかさず加藤家を改易させて次の城主に選んだのが小倉の細川家でした。ですが、当時の熊本の民衆は清正に敬う意味の「公」をつけて、さらに「さん」をつけて「清正公(せいしょこう)さん」と親しみを込めて呼ぶほど、清正は民衆に愛されていた。そんな名君のあとに新しく城主として入城するのは大変難しいことだったと思うんですね。
しかし、藩主になる命を受けた細川忠利はこれまた優秀な人物で、熊本への入城の際、一行の列前に加藤清正の画像を押したてていたと言われています。「俺がリーダーになったから従え」となるのではなく、前のリーダーである清正を立てたんですね。忠利は民衆の清正への想いへ配慮をすることで「今度の城主はよか人バイ」と民衆に受け入れられていったんです。これって現代のサラリーマン社会に通じる部分もあるんじゃないでしょうか(笑)。
そして、細川家は熊本に芸術や文化をもってきたんですね。細川家は室町時代から続く名家で、忠利の祖父にあたる幽斎は千利休にお茶を学び、王朝古典の奥義に通じるなど文化に大変造詣が深かった。治水や築城などの土木事業に長けた加藤清正によって藩としての土台が作られ、次に細川家によってお茶や芸術などの文化もたらされた。そして泰平の世になるにつれ徐々に民衆へと浸透していったんです。加藤家と細川家、この二つの名家を持つからこそ、熊本は素晴らしい文化と歴史を持っているのだと思います。
ちなみに、熊本城の城内にある熊本県立美術館内「永青文庫分室」には、室町時代から700年続く細川家に伝わるさまざまなお宝が展示されているので、是非見に行かれることをオススメします。私はここで「錦の御旗」を見た時は「錦の御旗ってほんとにあるんだー」と感動しました。
歴史を楽しむ場合、年表や史実など情報を知識として学ぶことは喜びでもあり楽しいことですが、私はその時代の人々の生活環境を意識することをおすすめします。簡単に言えば「物がなかった」ということです。
たとえば、電気のない時代、昔の人は夜の灯りをどうしていたのか。1800年代後半にエジソンが電灯の実用化に成功し、明治になって日本に電灯が入ってくるまで、日本の夜は行灯や蝋燭の灯りしかなかったわけです。戦後になって電灯が一般の家庭に普及するより以前の日本の夜は、いまよりもずっとずっと暗かったんですね。夜が暗いということは物が見えにくい。花魁の着物は艶やかで派手な柄ですが、薄暗い行灯の光の中で、少しでも綺麗に、艶やかに見せるために派手にデザインされていたんですね。
「タラヨウ」という木はご存知でしょうか。タラヨウの葉を裏返して、何か尖ったもので「こんにちは」と文字を書くと、しばらくすると「こんにちは」という文字が浮かび上がってきます。紙もペンも手に入りにくい時代、人々はこのタラヨウの葉に想いを書いていました。これが"葉書"の語源だと言われています。
このタラヨウの木はお城の周りによく植えられています。タラヨウの木は水分が多くて燃えにくいという理由からです。そういう昔の人の生活環境を知ることで、お城を散策するのも天守閣を見る以外の楽しみが生まれます。
先日、松尾芭蕉のふるさとの伊賀上野に行った際もお城の周りにはタラヨウの葉が茂っていました。お城散策でタラヨウの木を見つけたら、葉をちぎって何か尖ったものでそこに俳句を書いてみるのもいい。もしかして芭蕉もタラヨウの葉に俳句を詠んだことがあるかもしれないと想像しながら俳句を書けば、何倍も楽しくなりますよね。
歴史上に登場した全ての物や出来事には、それが生まれた理由やそうなった理由あると思うんです。坂本龍馬は近視だったと言われていますが、近視の人は夜になると物が見えにくい。彼が京都の近江家で暗殺されたのは夜。もしかすると襲われた時には部屋の中があまり見えなかったのかもしれない、などと自分なりの仮説をたてて歴史を楽しむこともできますよね。
知識を詰め込むだけじゃなく、彼らがどんな生活環境の中で毎日を過ごしたのかを知ることで、彼らがなぜそういう行動をしたのかを推測する。そういう楽しみ方を知れば歴史がもっと楽しくなると思います。
秋吉 健太
株式会社角川マーケティング
福岡ウォーカー編集長
www.walkerplus.com/kyushu/
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テーマ:歴史にまつわるあれこれ
私は出身が熊本ということもあり、熊本を作った加藤清正と細川家が好きで。
これは私の持論ですが、熊本人にはDNAの中に「加藤清正が好き」というが符号が配列されていると思うんです。ほんとに誰か証明してほしい(笑)。私も誰に教わったわけでもないのに、幼い頃から加藤清正にはなぜか親しみを持っていました。
加藤清正は肥後熊本藩の初代藩主。豊臣秀吉の"七本槍"メンバーの一人であり、日本三大名城の一つである熊本城を築城、氾濫して人々を苦しめた白川の治水を成功させるなどして"建築の神様"としても崇められた安土桃山~江戸時代の武将です。
徳川家は目の上のタンコブだった清正の死後、すかさず加藤家を改易させて次の城主に選んだのが小倉の細川家でした。ですが、当時の熊本の民衆は清正に敬う意味の「公」をつけて、さらに「さん」をつけて「清正公(せいしょこう)さん」と親しみを込めて呼ぶほど、清正は民衆に愛されていた。そんな名君のあとに新しく城主として入城するのは大変難しいことだったと思うんですね。
しかし、藩主になる命を受けた細川忠利はこれまた優秀な人物で、熊本への入城の際、一行の列前に加藤清正の画像を押したてていたと言われています。「俺がリーダーになったから従え」となるのではなく、前のリーダーである清正を立てたんですね。忠利は民衆の清正への想いへ配慮をすることで「今度の城主はよか人バイ」と民衆に受け入れられていったんです。これって現代のサラリーマン社会に通じる部分もあるんじゃないでしょうか(笑)。
そして、細川家は熊本に芸術や文化をもってきたんですね。細川家は室町時代から続く名家で、忠利の祖父にあたる幽斎は千利休にお茶を学び、王朝古典の奥義に通じるなど文化に大変造詣が深かった。治水や築城などの土木事業に長けた加藤清正によって藩としての土台が作られ、次に細川家によってお茶や芸術などの文化もたらされた。そして泰平の世になるにつれ徐々に民衆へと浸透していったんです。加藤家と細川家、この二つの名家を持つからこそ、熊本は素晴らしい文化と歴史を持っているのだと思います。
ちなみに、熊本城の城内にある熊本県立美術館内「永青文庫分室」には、室町時代から700年続く細川家に伝わるさまざまなお宝が展示されているので、是非見に行かれることをオススメします。私はここで「錦の御旗」を見た時は「錦の御旗ってほんとにあるんだー」と感動しました。
歴史を楽しむ場合、年表や史実など情報を知識として学ぶことは喜びでもあり楽しいことですが、私はその時代の人々の生活環境を意識することをおすすめします。簡単に言えば「物がなかった」ということです。
たとえば、電気のない時代、昔の人は夜の灯りをどうしていたのか。1800年代後半にエジソンが電灯の実用化に成功し、明治になって日本に電灯が入ってくるまで、日本の夜は行灯や蝋燭の灯りしかなかったわけです。戦後になって電灯が一般の家庭に普及するより以前の日本の夜は、いまよりもずっとずっと暗かったんですね。夜が暗いということは物が見えにくい。花魁の着物は艶やかで派手な柄ですが、薄暗い行灯の光の中で、少しでも綺麗に、艶やかに見せるために派手にデザインされていたんですね。
「タラヨウ」という木はご存知でしょうか。タラヨウの葉を裏返して、何か尖ったもので「こんにちは」と文字を書くと、しばらくすると「こんにちは」という文字が浮かび上がってきます。紙もペンも手に入りにくい時代、人々はこのタラヨウの葉に想いを書いていました。これが"葉書"の語源だと言われています。
このタラヨウの木はお城の周りによく植えられています。タラヨウの木は水分が多くて燃えにくいという理由からです。そういう昔の人の生活環境を知ることで、お城を散策するのも天守閣を見る以外の楽しみが生まれます。
先日、松尾芭蕉のふるさとの伊賀上野に行った際もお城の周りにはタラヨウの葉が茂っていました。お城散策でタラヨウの木を見つけたら、葉をちぎって何か尖ったものでそこに俳句を書いてみるのもいい。もしかして芭蕉もタラヨウの葉に俳句を詠んだことがあるかもしれないと想像しながら俳句を書けば、何倍も楽しくなりますよね。
歴史上に登場した全ての物や出来事には、それが生まれた理由やそうなった理由あると思うんです。坂本龍馬は近視だったと言われていますが、近視の人は夜になると物が見えにくい。彼が京都の近江家で暗殺されたのは夜。もしかすると襲われた時には部屋の中があまり見えなかったのかもしれない、などと自分なりの仮説をたてて歴史を楽しむこともできますよね。
知識を詰め込むだけじゃなく、彼らがどんな生活環境の中で毎日を過ごしたのかを知ることで、彼らがなぜそういう行動をしたのかを推測する。そういう楽しみ方を知れば歴史がもっと楽しくなると思います。
秋吉 健太
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本日をもちまして・・・・・パクスファンの部屋
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お待たせしました・・・・パクスファンの部屋
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この記事へのコメント
突然のコメント失礼致します。
熊本のサイトを運営している者なのですが、失礼ながら、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
もしよろしければ、相互リンク登録していただけましたら幸いです。
http://ken.link-z.net/kumamoto/link/register
ご迷惑でしたら申し訳ございません。よろしくお願いします。
63I
熊本のサイトを運営している者なのですが、失礼ながら、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
もしよろしければ、相互リンク登録していただけましたら幸いです。
http://ken.link-z.net/kumamoto/link/register
ご迷惑でしたら申し訳ございません。よろしくお願いします。
63I
Posted by 相互リンクのお願い at 2009年12月14日 02:50
スファンくんへ
コメントありがとう。わたしたちの、コメントも よんでくれてるんですね。うれしいです。わたしの、コメントをよんで
げんきでて うたに ダンスに そのほかにも たくさん、れんしゅう することありますよね いろんなことに ちょうせんしてみてください。これからの すすむみちが みえてくるとおもいます。ガンバレ!おうえんしていきます。
コメントありがとう。わたしたちの、コメントも よんでくれてるんですね。うれしいです。わたしの、コメントをよんで
げんきでて うたに ダンスに そのほかにも たくさん、れんしゅう することありますよね いろんなことに ちょうせんしてみてください。これからの すすむみちが みえてくるとおもいます。ガンバレ!おうえんしていきます。
Posted by AKEMI at 2009年12月14日 23:19